あの家

あのうどん県の家はどうなったの?と思っておられる方、いらっしゃいますか?

2012年の年末に母が交通事故で入院して退院するまでの二ヶ月間で、私は何かに取り憑かれたように実家を片付けました。
叔父やオットに手伝って貰い、大きなゴミ袋におそらく50個では効かぬほど捨てたと思います。

そのあと本家筋の人が、二階の大型の箪笥やら着物や不用品を軽トラック2台分持ち帰りました。
それでも、60年以上改築を繰り返して広げた家には物が溢れかえっていました。

母が大阪に来ることを決意した昨年末から、母の友人達や親戚にいろんな物を貰ってもらい、ようやく部屋の中に隙間ができたのです。

最後に残った洗剤や食料品の未使用品は叔母に引き取ってもらいましたが、使いかけの洗剤や調味料などはそのまま、台所の鍋釜を含む調理器具もそのまま。

母いわく、四月に入って自分の体調が悪かったので、大阪に持って来たかった物をたくさん残したままになった。
それを毎日悔やむのです。

今現在、大阪の母の四畳半の部屋は、一間半の押入れの襖が閉まらないほど物で溢れ、オットのパソコン周りは母が通販で買い漁った品が山盛り。

私達は自分達の物をたくさん断捨離して母の荷物を入れ、そしてなお溢れる荷物を受け入れたのに、まだその上に母は嘆くのです。
いつまで嘆くのでしょう。

そしてあの家の後始末、私は業者に頼んで一日で片付けて貰おうと思っていたのに、間際になって叔父がやると言ったもので断る訳にもいかず、叔父に任せたのでした。

その叔父から
「ゆうこ、もう全部片付いたから心配いらん。」と電話を貰ったのは、5月23日のことでした。
無料ではありません。
でも業者に払うと、もしかしたら倍くらいの費用がかかったかも知れません。
残した物から叔父が必要なら使ってくれれば良いのです。

少し心残りなことは、できるならあの家が空っぽになったところを、この目で見たかった。
私が生まれ育った家ですが、なぜか私にはあまり良い思いのない家でした。

今、Googleのストリートビューでは、もちろん母が居た頃の植木が並ぶ家です。
何年ごとに更新されるかわかりませんが、いつかあの家が無くなってる写真を見たら、私はその時どんな感情になるのでしょうか。

☆今日の幸子さんのお昼ご飯
ちらし寿司
アジフライ(スーパーの)
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幸子さんはどんな風にあの家を思い出しているのでしょうか。
最近は家の事は話さなくなりました。







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Commented by time2022 at 2017-06-01 16:56
人生のほとんどを過ごされたのですか…
人には分からない思いれがありますよね
私も海辺に来て10年になりますが
今でも遠い向こうに東京を見て暮らしてる気がします
お母様も今が一番ホームシックのようなものを感じるんじゃないでしょうか
それを乗り越えてだんだんゆうさんのお家が自分のお家になっていくんでしょうね…きっと…
Commented by komiti15 at 2017-06-01 17:28
実家を片づけられたのは、入院しているお母さんに相談をせずに独断で片付け
られたのですか? 同居を決意された表れと思いますがいずれ「同居して良いよ」と
お母さんには気持ちを話されていたのですか?

2012年は私が神戸から福岡に来て新生活を始めた年ですね
早6年が過ぎ7年目を迎えています・・・ と、言う事は
逆算すると、私は此方に来て5~6年で神戸の記憶が薄らいで来たと言う事になりますね
その反比例で福岡にそれなりに馴染んで来ました
記憶の引き出しって新しい引き出しを満たすと段々遠のいて行くのかも知れませんね
私は、神戸には身内は居ませんからお出かけのキッカケも有りませんが
ゆうさんは、うどん県に本家筋の親戚がおありでしたら実家に足を延ばす機会も
有りそうですね。 記憶に足を延ばすって当時にタイムスリップで良いものですよ~~
Commented by anatatoyu at 2017-06-01 17:37
> time2022さん

そういうことになりますね。
ただ、実家は借家でしたから、いつかは出なくてはいけませんでした。
とても複雑な構造の借家で、大家さんとの繋がりも複雑でした。
母がホームシックになるとしたら、うどん県での友達や知り合いに対してだと思います。
皆さん高齢ですから、携帯でメールもできないし。
母が友人に書いたように「第二の人生」を楽しんで欲しいものです。
Commented by anatatoyu at 2017-06-01 17:48
> komiti15さん

何度も書き直していただいて、ありがとうごさいます。
母が入院するということは、認知症の父を施設に預けることでした。
母の病院に通いながら、父を受け入れてくれる施設を探すのも大変でした。
母がどのような状態で退院できるかわかりませんでしたが、二階への上がり下りは大変と思い、階下の父の部屋を片付けて母の部屋に設えました。
当時の実家はゴミ屋敷でした。
私は母も認知症ではないかとおもうくらい、家の中はグチャグチャだったのです。
入院中の母は自分のことで精一杯。
どんな相談もできる状態ではありませんでした。
同居を持ちかけたのは父が亡くなった時です。
実家は借家でしたから、いつかは退居しなくてはなりませんでした。
うどん県の本家筋とは父方です。
父方の親戚とは母が縁を切りました。
その昔話も今だにします。
次に私がうどん県に行くとしたら、母方の叔父叔母の入院かお葬式だと思います。
Commented by komiti15 at 2017-06-02 10:40
最近つくづく思う事は
宿命を乗り越えて自分に可能な理想を定めて歩む人生
それらが長い将来に向けての目標でも、今を見定め今豊かに生きる事でも
考えた結果の意思を真っ当して行けば、自分の行動に納得出来ればと良いと思います
お母さんの入院で早急な決断に迷わず動かれたことは私が同じ立場になれば
同じ事をしたと思います。
決断、行動はゆうさんに託されていたのですね。
1人でやり遂げられて立派だと思います
Commented by anatatoyu at 2017-06-02 16:14
> komiti15さん

自分の人生であっても、自分一人ではどうにもならないということでしょうね。
母は後悔することが多い人です。
昔の嫌な思い出ばかり思い出してどうするのでしょう。
そんな話をする相手(私)がいて母は良いけど、私にどんな老後が待っているのでしょうか。
いろんな人に助けられて生きて来ましたが、決断は私に迫られます。
それはやはりしんどいことですね。
by anatatoyu | 2017-06-01 16:00 | 暮らし | Comments(6)

ふつうの暮らしのふつうのご飯、日々の出来事綴ります。


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