気持ちは神戸へ
2018年 02月 26日
昭和8年神戸で生まれた幸子さんは、父方の親戚を頼って小学校五年生11歳の時にうどん県に疎開しました。
戦争が終われば、いつか神戸に帰れると思っていたそうです。
今回神戸に行きたいと言ったのは突然のことではありません。
私達が商売をする前、今から25年ほど前に父と幸子さんと私の三人で、幸子さんが生まれ育った場所を訪ねたことがあります。
今のように家庭にパソコンがあった時代ではなかったので、何の下調べをした訳でなく、当時は地図だけが頼りでした。
家があった辺りはわかっても、当時の名残りがある建物は一つも無かったと思います。
昨年5月に大阪に来た時の幸子さんは、腰が痛くて喘息もひどく、順番に病院に行くしかありませんでしたが、いつかまた神戸に行きたいと言っていました。
今更、自分の子供の頃の足取りを追ってどうするのか、何も無ければ悲しいのではないかと思わぬではありませんが、私もオットも幸子さんが行きたいところを優先させようと思っています。
昨年に幸子さんから聞いたいくつかのキーワードを元に、オットが少しプリントアウトしていたものを今朝 幸子さんに見せて、より細かいことを思い出してもらうことから始めようと思います。
当時の住所は番地の表記が新しくなっていますが、町名は残っています。
幸子さんが通っていた小学校は今は消防署になっています。
電車が地下に潜り道路も少し変わっています。
市場があった、映画館があった、祖父に肩車をしてもらって寄席にも行った。
幸子さんは次々と思い出しています。
祖母の実家は魚屋でした。
祖母は日中店を手伝いに行っていたそうです。
小学校に通った道、友達の家、幸子さんはまだまだ覚えています。
パソコンを見ていると、やはり同じ辺りを探している人が居て、古い地図もありました。
拡大鏡で見る幸子さんを見てると、元気なうちに実現しなければと思いました。
☆今日のお昼ご飯
鮭の塩焼き
かぼちゃの炊いたん
「もう50年も前やから…」
違う違う!70年以上ですから(笑)
by anatatoyu
| 2018-02-26 17:15
| 母のこと